幼少期と語られていない事実

Robert Downey Jr Childhood Story Plus Untold Biography Facts
RDJの幼少期と語られていない事実


まず初めに、彼のニックネームは”Bob”だ。ここでは彼の幼少期から人気者になるまでのストーリーを書いていく。

幼少期
彼のフルネームは、ロバート・ジョン・ダウニー・Jr.だ。1965年4月4日、NYのマンハッタンで、父親ロバート・ダウニー・Sr.、母親エルシー・アンの間に生まれた。素敵な両親の2人の子供の末っ子として生まれた。
子供の頃、ロバートは「麻薬に囲まれて」いた。それは父親のおかげだった。

麻薬中毒者である彼の父親は、可哀想な息子が6歳の時にマリファナを与えた。それは後に父親が深く後悔していると述べた事件だった。当時のロバートにとって、麻薬の使用は幼い自分と父親との感情的な絆の元になっていた。子供の頃の経験について、ロバートは後にPeople誌とABC Newsに語っている。

「子供の頃、父と僕は一緒に薬をやっついた。まるで父が知っている唯一の方法で僕への愛情を表現しているようだった」
正確ではないかもしれないが、ロバートの子供時代のこの写真は、父親から麻薬の世界を紹介された後の彼の試練について多く教えてくれる。

ロバートは姉のアリソンと共に、グリニッジ・ヴィレッジで育った。ここは芸能界の賑わいの地として知られている。ロバートの家族のように、長年にわたり素晴らしい俳優や女優を生み出してきた。

家族の背景と起源
ロバートの家族の出身については、父親が1/2がリトアニアのユダヤ人、1/4がハンガリーのユダヤ人、1/4がアイルランド人の子孫であることを知っておくと面白いだろう。一方母親は、スコットランド、ドイツ、スイスに家族の祖先がいる。

ルーツについては、Finding your rootsを参照

教育とキャリア
両親が映画関係の仕事をしているため、ロバートがその職業に憧れるのは簡単だった。両親は早い時期から息子に演劇芸術を教え始めた。ロバートは5歳で映画デビューを果たした。”Pound”で病気の子犬を演じた。さらに7歳でシュールなウェスタン”Greatures Palace”に出演。

ロバートはチェルシーにあるペリーハウススクールに基礎教育のために通った。彼のDNAには演じることへの愛情があったため、ステージドア・マナーパフォーミング・アーツ・トレーニングセンターに参加することで、劇的に進歩した。
その後サンタモニカ高校に進んだ。非常に重要なことは、彼が若い人生の落ち着きがない段階で、学校を中退すると決めたことだ。その後彼はNYに戻り、フルタイムで演技のキャリアに直面しようと誓った。

初期のキャリア
高校を中退後、ロバートは演劇芸術で身を立てはじめた。1987年、ロバートは麻薬中毒の金持ち息子で、人生の箍が外れたジュリアン・ウェルズを演じた。彼の演技は広く賞賛され、彼自身も薬物中毒という役は実生活における『人格の誇張』であると感じた。

悲しいことに、彼が幼少期に苦しんでいた麻薬問題が到来し、その醜い顔が中年期に彼を苦しめることになった。

名声への道
中年で成功するための旅は、ロバートにとってスムーズなものではなかった。実際のところ、彼はコカイン、ヘロイン、マリファナなどの麻薬に関連した容疑で何度も逮捕された。その結果ロバートは薬物治療プログラムと痛みを伴うリハビリを経験した。

5年間の薬物乱用、逮捕、リハビリ、再発の後、完全に薬物から回復するために努力する準備が出来ていた。
ベテラン俳優の商業的復活には、親友であるメル・ギブソンが保険金を払った後に起こった。ギブソンの掛けは、ロバートのカムバックへの道を切り開き、2000年代半ばには彼を本格的な撮影に戻した。

↑記事内でこちらの”Air America”の画像が使用されていますけど、カムバック作品は”The Singing Detective”

名声への上昇
ロバートのキャリアは、批評的にも商業的にも成功した2つの映画、「アイアンマン」と「トロピック・サンダー」に出演した時から繁栄し始めた。2008年に全世界で公開された「アイアンマン」のトニー・スタークとして主演することで、広く認識されるようになった。

映画は世界で5億8500万ドル以上の収入を得た。その後次の大作がきた。ロバートは「アベンジャーズ 」で再びトニー・スタークを演じた。映画は好評を博し、興行収入で大成功を収めた。この映画は、アメリカと世界の両方で、史上3番目の興収を得た。

ロバートはゴールデングローブ賞、MTVムービーアワード、ピープルズチョイスアワード、サターンアワード、ティーンチョイスアワードなど、数多くの受賞歴がある。

元ガールフレンド:サラ・ジェシカ・パーカー
1984年の映画「家族の絆」の撮影中に出会った後、サラ・ジェシカと付き合っていた。カップルはその後、ロバートの麻薬中毒という問題のために7年後に別れた。

ロバートはかつて語っている。「僕はとても利己的で、飲酒が好きで、麻薬の問題もあった。そしてそれはサラと一致しなかった。何故ならそれは彼女から最も遠いものだったから。サラは僕に家庭と理解を与えてくれた。彼女は僕を助けようとした。腰が引けてしまった時、彼女はムッとしていた。僕はサラに恋していたけど、愛は十分じゃなかったんだ」

元ガールフレンド:デボラ・ファルコナー
サラ・ジェシカとの関係が失敗した後、ロバートはカリフォルニア州サクラメントで1965年8月13日に生まれた、女優&歌手のデボラ・ファルコナーに出会った。42日間のデートの後、1992年5月29日に2人は結婚した。が、12年後に離婚。

2人にはインディオ・ファルコナー・ダウニーという息子がいる。インディオは1993年9月に生まれた。

スーザン・レヴィンとの関係
続いてロバートは、2003年「ゴシカ」の撮影現場で、プロデューサーのスーザン・ニコール・レヴィンと出会った。当時スーザンは、ジョエル・シルバーの映画会社のプロダクション担当の副社長だった。映画の製作中、ロバートとスーザンは静かに愛を育んだ。

撮影終了後、ロマンスは長続きしないのではと、スーザンは心配していたが、カップルの関係は信念を持って続いた。「ゴシカ」の完成後、ロバートはスーザンの30歳の誕生日の前夜にプロポーズした。2人は2005年8月、ニューヨーク州アマガンセットでユダヤ式の挙式をした。

ロバートとスーザンには2人の子供がいる。2012年2月に生まれたエクストン・エリアスと、2014年11月に生まれたアヴリ・ロエルだ。

ロバートの父親について
ロバート・ジョン・ダウニー・シニア(1935年6月24日生まれ、ロバート・エリアス・ジュニア)は、ニューヨーク州マンハッタンで、モデルのエリザベス(旧姓マクラウフレン)と、モーテルやレストランの管理者だったロバート・エリアス・シニアの間に生まれた。

ロバートの母親について
エルシー・ダウニーは1934年4月11日、ペンシルベニア州ドーモントで生まれた。彼女はエルシー・アン・フォードとして知られており、ロバート・ダウニーの家業に積極的に関わっていた。
ロバートは母親が2014年にカリフォルニア州で病死するまで、良好な関係を楽しんでいた。

姉アリソンについて
アリソン・ダウニーは1963年11月29日、ニューヨーク市で生まれた。弟同様、彼女は幼い頃グリニッジビレッジで過ごした。両親は彼女を弟ロバートのように振る舞わせたが、彼女は執筆に集中し始めた。

継母について
ローラ・アーンストは1957年9月8日、ワシントン州で生まれた。離婚後、RDSは彼女と再婚した。悲しいことに、彼女はルー・ゲーリック病(運動ニューロン疾患MNDとしても知られる)で闘病後、1994年に亡くなった。

親戚について
父方の親戚では、叔父がジム・ダウニー 。この記事では母方に関する記載はなし。

ライフスタイル
ロバートはリーダーシップという役割と、物理的な課題を引き受けるのが大好きだ。これは彼が牡牛座だからだろうか。
フリーな時間の多くを詠春拳の練習に費やしている。また彼は絵を描いたり音楽を聴くのが好きで、彼の人生の目標の1つは、ヨガを完璧にマスターすることだ。

資産
記事執筆時点で、ロバートの純資産は3億ドル以上。殆どがMCUのおかげ。2013年から2014年には約7500万ドル稼ぎ、フォーブスの世界で最も稼ぐ俳優にも選ばれたこともある。
実際、収入の殆どは演技からだが、中国の電話会社One Plusのキャンペーンで、数百万ドル稼いだ。


ロバートの驚くべき富は、エキゾチックなライフスタイルに繋がっている。
彼はマリブにある7エーカーの土地を購入するのに1344万ドル払った。巨大な邸宅の多くの部屋からは水辺の景色が一望でき、屋外テラスもある。

マリブ邸の敷地が7エーカーと出てきましたけど、
1エーカー=約4047平方メートル=1224坪。
7エーカー=約28328 平方メートル=8568坪。
これは、東京ドームの2/3(東京ドームは11.5エーカー)
ちなみにクマのプーさんが暮らすのは100エーカーの森。

では、マリブのスターク邸はどのくらいの広さ(推定)かというと、2013年の”Inside Iron Man’s $117 Million Malibu Mansion “によると、床面積は
25000平方フィート=2322.576 平方メートル。0.574エーカー
庭部分の敷地が相当あるので、実際の敷地面積はもっとあるかな。


自動車愛好家でもあるロバートは、長年にわたり数台の車を購入してきた。例えば、Audi R8、Audi E-Tron GT、1965シボレーコルベット、アキュラNSX。これはロバートのコレクションのほんの一部だ。

あまり語られていない事実①
姓がエリアスからダウニーに変更された理由
RDSは家系の名前である「エリアス」を拒否した。父親が姓名を変更しなければ、ロバートは、ロバート・エリアス・Jrだったはず。
名義変更の理由:米陸軍へ入隊するために、父親はエリアスをダウニーに変更。

あまり語られない事実②
宗教
ロバートは過去に何年にもわたり「ハレクリシュナ」に夢中になっていると自認している。これはヒンドゥー教の一分野でありガウディーヤ・ヴァイシュナヴァが立ち上げた宗教団体。最近、ロバートは新しい宗教を持っている。彼は現在自分を「ユダヤ人仏教徒」と呼んでいる。

あまり語られない事実③
タトゥー
ロバートはかなりの数のタトゥーをいれている。上腕二頭筋には妻の名「スージーQ」、右肩には長男の名「インディオ」。

(他にも入れてるけど、この記事では割愛されている)

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